たまたま、百貨店から依頼されたPOPをちょっと工夫
して提出し
たことからPOP屋になり、ついでにPOPと商品
の展示提案図を描いたら商品ディスプレイの依頼、
季節とカラー・コーディネートの企画書を書いたら
催事企画の依頼・・・・・・・。
二年後には、ネクタイのデザインはどこかへいってしまい
百貨店の紳士装身具売り場や特選売り場のディスプレイ、
催事企画、
自社の展示会構成がメインの仕事になっていて
テナント・ショップのデザインまでやっていた。
 都内ほとんどの百貨店の売り場担当者や、会社の上司も
二十歳そこそこの若僧によくまかせる度量があったもんだ
感心する。

 しかし、この社会性の欠如した男は
自分の仕事に秘密基地を作ってしまう。
誰にもわからない、出来ない部分を仕事にすれば
そこに安住できるし必要とされる限りバカにされない。
こんなせこい男にも部下らしい人が何人も付いたが
指導、管理する能力があるはずがない。

これは今でも申し訳なく思っている。

 
 ちょっと新しく、人と違ったアプローチの仕方っていう
ボクの処世術みたいなものは
その後、転職しても変わらなかった


み ゆ き 族

  百貨店の閉店後が
 すっかり仕事の中心になって
 銀座周辺の百貨店での仕事の後は
 JUNの二階にあるジュリアン・ソレルという
 オシャレな喫茶店によく行った。
 

  みゆき通りに近く、平凡パンチの
 表紙からそのまま抜け出たような

 みゆき族というIVYな若者がウロウロしてて

 ナンパなんかをしてるのを
 上からながめている。
 
あのバカな奴等!と、口ではののしるが
 ホントはウラヤマシイ。
 カノジョー、オチャデモ、ドォ?
 言ってみたい、やってみたい!
 
  田舎者は卑屈なんです。

ど こ の 美 大 ?

< どこの美術大学を出たの? >
百貨店の担当者から、よく聞かれる。
ボクは学歴コンプレックスなんか
無かったけど
仕事上、うかつに返事ができない。
たいがい笑ってごまかす。
 
 当時の写真を見ると
とても19才には見えないカッコウ。
ビシッとスーツを着、スキが無いよう
目一杯、背伸びをして
デザイナーになりすましている。
期待を裏切りたくないもんだから
仕事着には、お金がかかった。
仕事着にお金をかけると財布は空っぽ
疲れて帰るのは会社の住み込み寮。
( 他の絵では便宜上茶色のスーツで統一してます )

どこの美大?、どこに住んでんの?
傷つきゃしないけど
返事に困るから聞かないでほしい。
ボクだってこのギャップに
悩んでんだから。

 プレタポルテ

 百貨店の協力販売で買わされた
日本初の Pierre Cardin プレタポルテ・スーツ。
給料3ヶ月分ほどの価格で
支払いにズイブン苦労したけど
金持ちの放蕩息子にしか見えず
3回しか着なかった、着れなかった。
 後に流行った
木綿のハンカチーフ っていう曲を聞くと
なんでか、このスーツを思い出すんです。

昭和の子供たち・やよい町15番地