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月 面 着 陸 |
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1969年7月、人類史上初めて
月面に降り立ったアポロ11号の中継を
同期入社のウマダ、フジイと千葉の海水浴場の
汚い民宿のテレビで観ていた
幽霊のような映像を観ながら
世の中の何かが革新的に変わるんかなぁ
と、なんとなく思ったが
なーんにも変わらんかった。
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ケ イ ゴ の 上 京 |
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三億円事件で世間が騒がしかったころ
京都西陣の会社に就職していたケイゴが
東京へ遊びに来ると連絡があった。
土曜の仕事終わりに新幹線で来て翌日帰るらしい。
高くっても宿代は払うから皇居の近くに泊まりたい
と言うので、第一ホテルを予約した。
午後10時頃、東京駅で迎えた彼は
キッチリ分けた七三の頭に、紺の三つ揃いのスーツ
アタッシュケースを下げていて銀行員みたい。
後年の彼を知る人間には信じられないスタイル。
立ち話もそこそこにホテルへ行こうとすると
その前に行きたい所があると言う。
タクシーに乗って彼が言ったのは
東京タワーが見える首都高に乗って
ゲンジュクに行ってもらえまへんか・・・
ゲンジュク?
そう、シンジュクだからゲンジュクでしょ?
どう回ったか憶えてないけれど
首都高から東京タワーを眺めて夜中の原宿へ行った。
が、すっかり灯は落ちどんな店も開いていない。
二人はトボトボ歩いて青山まで出て
ようやく開いている喫茶店を見つけ
閑散とした青山通りを見ながら珈琲を呑んでいた。
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ホテルの立派な部屋な部屋へ入ると
ケイゴはアタッシュケースからおもむろに葉巻を取り出し
欧米では紳士は葉巻を吸う。紙巻タバコは労働者階級しか
吸わないらしい!と言う。
で、二人は目が回り気持が悪いのを我慢しながら吸い
明け方まで同級生の消息や、音楽、美術、仕事、悩み・・・
等々を話し続け・・・の途中、用足しに行ったケイゴが
トイレで素頓狂な声を上げたので行って見ると
初めて見た洋式トイレの便器に、細い紙で封がしてある。
これ、壊れてっから封してあるんじゃないか?
電話してみるか? 夜中やしなぁ・・・
セレブな二人はホテルのトイレでしばし悩むのであった。
この封、そっと外して使お。戻しておけば判らんやろ。
で、二人は小も大も封をそっと外して用をたした。
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翌朝、二人は葉巻をくわえて皇居の周りや数奇屋橋
銀座を徘徊。テキトーな店で珈琲とトーストをいただき
昼過ぎに またな!の一言を残してケイゴは新幹線で
京都へ帰っていった。
あいつは何をしに東京へきたんだろう。
初めて泊ったホテル、二十歳そこそこの田舎者の見栄
若さの無恥、思い出すと顔が赤くなるほどに・・・
胸も熱くなる。
大学出てないとなんともならん・・・
ホテルで葉巻を吸いながらボソッと言っていたケイゴは
後年、資金を貯め会社を辞して大学を受験し
同志社に合格しての入学直前、父親の突然の他界で
地元に帰らざるを得なくなった。
彼の挫折感は想像に難くない。
人生に運、不運があるとすれば
ケイゴはその後、数々の痛みをかかえた不運の連鎖の中で
短い一生を終えた。 んじゃないかと思う。
生きてりゃ昔話で呑んで、たまにはケンカもできたのに・・・
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大 阪 万 博 |
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1970年の大阪万国博覧会
< 人類の進歩と調和 > がテーマ
8 月に、高校の同級生ヤスと弟の3人で
大阪本社寮を利用し2泊3日で行ってきた
だけど・・・
圧倒的存在感の
岡本太郎の < 太陽の塔 >
すごい暑さの中、紙コップで飲み続けたビール
イタリア館のレストランで初めて食べた
ピザ・・・ぐらいしか記憶に残ってない
アメリカ館の月の石なんかとんでもなく
大混雑で、テーマ館の記憶は皆無
日本中、お祭り騒ぎで
国民の6割以上が観に行ったらしい
なにが進歩と調和だったんだろう
そういえば弟は外国館のコンパニオンに
やたらと話かけてたなァ
富山弁しか喋れないくせに
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