ア ル バ イ ト - 1

入学早々から新聞配達のアルバイト
100軒10キロぐらいの距離を
自転車で配る
休みは年に 2日だけ
雪の日は自転車に乗れず
まだ誰も通ってない道を
ラッセルしながらの配達は つらい
ろくな防寒着も雨具も無かったしね

ある日、あまりに腹が減って
中学校前の店でパンと牛乳を買ったら
一日分の日当と同じ70円だったのに
ガクゼンとし、やめてしまった

ア ル バ イ ト - 2

月に 2100円 のアルバイト代は
何に使ったかは覚えていない
どうせ、ロクデモナイことにしか
使ってなかったんでしょう
雨でも雪でも 朝の5時前から起きて
集配所へ行き、広告の折り込みをしてから
配達にむかう

冬休みは お菓子屋さん
春休みは 本屋さんのバイトと
掛け持ちしていて、これはバテた
一軒配達忘れがあってもどこかわからず
もう一度、回り直しで学校に遅刻したり
犬にかみつかれたり

寝違えて首が回らず半泣きで配達したり
配達先の家が火事で無くなっていて
仕方なく焼跡に置いてきたり
ケネディ大統領の暗殺、鶴見列車事故の
号外を配ったり(謝礼は100円だった)
色んなことがあった



たまに牛乳配達のオッチャンに会うと

牛乳を1本飲ませてくれる
ボクはお礼に新聞をあげてたっていうのも
イイ思い出

ア ル バ イ ト - 3

二年の夏休み
アサノに誘われ、彼の友人2人とあわせ4人で
名古屋の工場でアルバイト
どんなにスゴイ都会かと期待してたけど
田んぼの中の工業団地のような所
富山とちっとも変わらない風景でガッカリ
なんにもできないボク等は
早朝から夕暮れまで
ほとんど資材運びのような肉体労働
ただただ暑くって、
やたらノドが乾く毎日だった
休日は1ヶ月の間に2日だけ
そんな日は、田舎者とバカにされないよう
目一杯オシャレして名古屋の街へ出た
日当は一日350円の約束だったけど
寮費、食費等を引かれてチャラになり
名古屋までの往復列車代が赤字
早い話がダマされたわけで
バイトで買おうと思ってたあれやこれやは
霧消してしまう・・・

このアルバイトでおぼえたのはタバコ
寮の先輩にもらい正しい吸い方の指導受け
以来、病みつきとなり現在に至る
日中のハードな仕事のわりには若いから夜も元気
遠くの紡績工場の女子寮の灯りを見ながら
思春期の少年たちは色んなモーソーをしたり

タバコの火を布団に落とし
夜中に燃えだして大騒ぎになったり
初めて食べたイチゴ・アイスに感激したり
たまには真面目に将来を語りあったり・・・

大人の労働者と寝食を共にした1ヶ月余は
イイ経験だった
お金を貰えたらもっと良かったけど

昭和の子供たち・やよい町15番地