テ レ ビ = 力 道 山

 テレビ は超貴重品
町内でも 2〜3軒の家にしか
なかった
けど、隣のヨッチャンちには
テレビ があった
夕食が終わると、
トーチャンはボクと弟を引き連れ
ヨッチャン ちへ行き、
ヨッチャン家族が食事してようがおかまいなし
勝手にテレビをつけて観ていた
プロレス中継 が大好きで、力道山 が大好きで
観戦中は怒鳴りっぱなし
 かまわん、殺せ!うしろだ、バカヤロー
ひとりで大騒ぎ
ナトコ映画の子供たちと、ちっとも変わんない
皇太子御成婚パレード
長嶋選手の天覧試合ホームランや
バス通りうら、ホームラン教室なんかのドラマも
ヨッチャンちで観てた
 
かまわん  
が、口ぐせだったトーチャンが 逝って30年余
バカなトーチャン だったなぁ
しみじみ思います

パパは何でも知っている

アメリカのテレビ・ドラマ
 < パパは何でも知っている >
のパパは

家ん中でも背広をきちんと着ていて
いっつもニコニコ、やさしくって
ママや子供たちを
絶対、怒鳴ったり
しないし
家族のどんな問題でも たちまち解決
おまけに、家にはテレビも冷蔵庫も
車 まである
シマさんちで観て帰ってきたら
トーチャンが新聞を読んでいた

後ろから小さい声で
パパ ってよんでみる

テ レ ビ が 来 た !

六年生の年の暮れ
ついに我が家にもテレビが来た!
その日ばっかりは
トーチャンが立派に見えた
もう、他の家に観にいく必要がない!
雨が降っても退屈することがない!
カーチャン以外は高揚感でいっぱい
画像が映った瞬間はみんなで大歓声
当時は放送時間は限られてて
民放1局にNHKと教育の3 局だけ
チャンネル争いのしようが無い
見ないときは立派な布でカバーされてて
トーチャンは、カラーになるっていう
三色分けになったプラスチックの板や
画面が大きくなるというレンズ式の板
というアヤシゲなものを
買ってきては
カーチャンとケンカ
これで世間並みになって
学校へ行ってもテレビの
話題に
ついていける

電  話

ボクが < やよい町 > にいた間は
家に電話が無かった
それが、この町内では普通だった
用水をはさんだ隣のマツモトさんは
商売をしてたからか電話があり、
ときどき
イッチャマサーン、デンワー!
って、窓を開けて呼んでくれる
ウチに用事がある時はマツモトさんに
電話を掛けてくる、ということは
マツモトさんの番号をウチがアチコチに

伝えてあるという事だよね
いつもはトーチャンかカーチャンが
電話に出るけど、二人がいない時は
ボクが出なくっちゃならない


電話に慣れてないボクは
キンチョーして声が上ずり
自分が何を聞いているのか
しゃべってんのか
わかんなくなってしまう・・・
ボクが東京へ出ても しばらくは
無いまんまで
家へ電話する時はマツモトさんに
掛けていた
家に電話が入って、一番最初に
ボクに掛けてきてくれたカーチャンの
チョット気取った、上ずった声を

今でもよくおぼえている
もしもし、マサトシ?
  元気にやっとんがけ?
  ウチに 今日電話が入ったがいよ・・・


昭和の子供たち・やよい町15番地