海 の ス タ イ ル

1、黒イカ、三角フンドシと言ってた。
  今の T-バックとまるっきり同じ形の簡易フンドシ。
  海で遊ぶと、砂ですれて肛門が痛くなる。

  小学校高学年から中1ぐらい迄のスタイル。
  釘と棒でトーチャンが作ってくれた
  モリと水中メガネがカッコイイけど、
  魚なんかは捕れたことがない。
  弟は小さい頃はズーッと下着の サルマタ。

2、公営プールは フンドシ厳禁
  で、トーチャンのベルト付海水パンツを借りる。
  生地が厚くって、ゆるくってダブダブで・・・

3、イキがって6 尺といってた本格的フンドシをつけて
  いるヤツもたまにいる。

  尻の所をシッポのように長くのばしておくと
  サメに襲われない!なんて言ってたけど
  ここの海にサメなんかいるわけない。

4、毛が生える思春期の中学生となると、
  競泳と称した薄手のタイトで黒いパンツ。
  お金のある奴は、海の家で車のチューブを
  浮き輪にしたものを借りて
  波間に浮いていた。

5、ベルトと日本手ぬぐいを利用した
  水着がない時の応急処置。
  手ぬぐいフンドシと言ってたが水中では
  ゆるっくって、役に立たない。

国 分 の 浜 -1

 町内の、夏のレクリエーションのひとつが海水浴。
どこかの土建屋さんのトラックの荷台に
全員乗って、国分浜の海の家へ行く。

海の家を利用できて、家族と一緒の海は、この日だけ。
おにぎり、麦茶、スイカ、アマウリ、なんでもあって
ラムネも飲めるかもしれない。
天国だー! で、思いきり遊びすぎ、ひどい日焼けで
夜、痛くって泣いてしまうこともあった。

 海の家は高台にあり、ひろい ひろい砂浜と蒼い海が
見渡せ、絶景 絶景。
人工物は(人間も)地味だったけど
自然はあざやかだった。 
やがて侵食によって高台は消え、砂浜は狭くなり
海の
水は、透明度を無くしていく。

国 分 の 浜  -2

 土手の上から海を見おろすと
地球が丸いっていうのが よくわかる。
左にメガネ岩、その右奥の海に
松の木が一本生えてる男岩が
ポツンとあって
そこまで泳いでいけるのが一人前の男だ!
って、みんな言ってた。
一人前の男になるのが夢だったけど・・・
一人前の男になる前に、
大人になってしまった。

海 の キ ャ ン プ

 トーチャンは、児童クラブの面倒をみてて
夏休みは、国分浜でキャンプ。
国分浜のキャンプに初めて参加したときは
みんなで、ドラム缶の筏を作り
男岩近くまで漕ぎ出し遊んだり、魚を釣ったり

夜はカレーと釣った魚の食事、花火
粗末なテントで、潮騒を聞きながら寝る。
 

 危ない、と反対する人も結構いたらしいけど
トーチャンの
 かまわん、責任はオレがとる!
で、トム・ソーヤの気分で
ボクたちは目一杯、楽しんだ。
  
 
こんな時のトーチャンは
自分の子供にだけ、一段と
厳しくって
スネたりもしたけれど・・・・・
大人になってはじめて、気持が理解できた。

国 分 浜 へ の 道  

 国分浜へは距離にして7〜8 kmくらい
今のように自家用車があるわけないし
お金もないから電車やバスにも
乗れない。
やよい町の子供たちは
年長者がリーダーになって
徒歩で夜中に出発
夜明けごろ海へ着き、昼過ぎには
また徒歩で帰る、ということもしてた。
小学校高学年になると
トーチャンの自転車を借りて
三角乗りで行くようになる。

大きくアップダウンの続く十間道を
汗をかきかき自転車をこいで、こいで
右に曲った道の向こうに
濃紺の海が見え、潮風を感じたら
みんなメチャクチャ興奮し
ガチャコンガチャコン
一気にスピードを上げる。
子供は歯止めがきかない。
目一杯遊んで、真っ赤に日焼けして
帰りはバテて、フーラフラ。

昭和の子供たち・やよい町15番地