やよい町の 最初は 敷地10坪ほどの二階家が連なる長屋の ジーチャンの家の二階に間借り。 やよい町のメイン・ストリートに面していて向かいには お菓子屋さん、八百屋さんなんかがある。 6帖と3帖、台所や便所は一階で共有という 不便さだったけど ボクは 二階からながめる風景がお気に入り。 移って来て間もなく ジーチャンが亡くなり 葬儀に来た四国のオッチャンから オミヤゲにもらった ブリキ製のバスが 長い間 ボクの 宝物になった。
夏の夕暮れ時 < 弟と外へ出てろ > って トーチャンが言った。 家の前は、未鋪装の狭い道なんだけど 子供には、広い遊び場所。 だれもいなくって ながーい影 を引っ張りながら 二人で石蹴りをして遊んでた。
< はいって、いいぞ > トーチャンの声。 家ん中に入ると 産婆さんが 赤ちゃんを抱いていた。 妹が生まれる前後のことは あんまり憶えてないけど 道路にできてた 自分たちの ながーい影 だけが 妙に印象に残っている。
保育園に入れられた。 入園早々、田舎モン って イジメられ ( みんな田舎モンのくせに ) ケンカになり 先生は、ボクだけを荒縄で スベリ台の支柱に しばりつけた。 それからは登園拒否になり けっきょく 保育園中退。 むかしは、エコヒイキは当たり前 ボクは、みんなと波長が合わず 先生にも好かれるような 子供ではなかったみたい。
保育園をやめたのはいいけれど 暇でしかたがない。 同じような年の子はみんな ちゃんと保育園に通っている。 園児が帰る時間近くになると チャンバラ ごっこ の正装をして だれか遊んでくれないかって 通園路で まちぶせ。 でもいざ 園児たちの姿が見えると 家へ駆けもどり 引き戸の後ろで息をひそめていた。
昭和の子供たち・やよい町15番地