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や よ い 町 |
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高岡駅から 北西の方向に歩いて30分
市街地のはずれに、やよい町 がありました。
住人150人たらずの
同じような家が並ぶ、色彩の乏しい町。
決して裕福とはいえない世帯の集まった町です。
小学生の頃は 市の中心部商店街以外
道路舗装はしてなくって 国道でも砂利道でした。
当然、ボクの町内も舗装なんかしてありません。
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や よ い 町 15 番 地 |
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ボクは、大平洋戦争終戦後
まもなく生まれた団塊の世代。
町内には同級生が 9人もいました。
当然、親たちは戦争体験者で
戦争中の話を 昨日の事のよう喋ってたり
戦争の遺物が
どこの家にもころがっていた時代です。
そんな昭和30年代の
日常のあれこれ、悲喜こもごもの思い出を
ボクんちを中心に描いています。
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ボ ク た ち の 家 |
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やよい町15番地が、ボクたちの家の住所。
屋根つづきになった 長屋の端っこ
12坪の古い平屋に住んでいます。
横には用水が流れていました。
ボクが小学1年生から東京へ出るまでの
約 12年間、親子 5人は
この家で暮らしました。
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家 の 中 |
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六帖二間、親子 5人が住むには
広くはないけど
用水に面してるから開放感があります。
昼でも薄暗い台所には コンクリートの流し台
大きな米びつ、野菜入れ、炭箱、薪材・・・
ハエ取り紙や洗濯物もブラ下がり
ゴッチャ ゴチャ。
ご飯やおかずの煮炊きは
奥の小さな かまど でしています。
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便所は 汲み取り式。
時々、どこかのオッチャンが回収に来ました。
カーチャンが生きていたら
恥ずかしいから、こんな絵は描くな!って
怒っただろうな。
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自 己 紹 介 |
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イッチャマ、と呼ばれています。
目立たず、引っ込み思案で消極的、虚弱体質なくせに
おちょこちょいで、いっつも大失敗をしています。
女の子からは当然、無視されていました。
家は世間並みに貧乏。
恐いトーチャンと、ちょっと美人のカーチャンとの間の
二男一女の 長男です。
左から、妹、カーチャン、弟、ボクに トーチャン。
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昭和の子供たち・やよい町15番地
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