依頼されたPOPをちょっと工夫したことからPOP屋になり
ついでにPOPと商品の展示提案図を描いたら陳列の依頼
季節とカラー・コーディネートの企画書を書いたら
催事企画の依頼・・・・・・・
 

二年後には、ネクタイのデザインはどこかへいってしまい
百貨店の紳士装身具売り場や特選売り場のディスプレイ、
催事企画、
自社の展示会構成がメインの仕事になっていて
テナント・ショップのデザイン・設計までやっていた

都内ほとんどの百貨店の売り場担当者や、会社の偉い人も
二十歳そこそこの若僧によくまかせる度量があったもんだと
感心する

しかし、この社会性の欠如した男は
自分の仕事に秘密基地を作ってしまう
誰にもわからない、出来ない部分を仕事にすれば
そこに安住できる、必要とされる限りバカにされない
 

こんなせこい男にも部下らしい人が何人も付いたが
指導、管理する能力があるはずがない

これは今でも申し訳なく思っている

 
ちょっと新しく、人と違ったアプローチの仕方っていう
ボクの処世術みたいなものは
その後、転職しても変わらなかった


み ゆ き 族

 百貨店の閉店後がすっかり
 仕事の中心になって
 銀座周辺の百貨店での仕事の後は
 JUNの二階にあるジュリアン・ソレルという
 オシャレな喫茶店によく行った
 

 みゆき通りに近く、平凡パンチの
 表紙からそのまま抜け出たような

 みゆき族というIVYな若者がウロウロしていて

 ナンパなんかをしてるのを
 上からながめている
 

 あのバカな奴等!と口ではののしるが
 ホントはウラヤマシイ
 カノジョー、オチャデモ、ドォ?
 言ってみたい、やってみたい!
 
 カッコウだけの田舎者は
 卑屈なんです

学 生 運 動

 1年半後、神田に5階建ての新社屋ができる
 5階が寮だった
 
 近くに明治、日本、専修などの大学があり
 学生運動が盛んな頃
 
 屋上から見ていると狭い路地から

 すごい数の機動隊が学生を包囲し
 攻撃がはじまる

 

 怒号、投石、ゲバ棒が警官の楯を殴る音、催涙弾
 音と煙の中の修羅場
 
 外では同世代が国家権力と衝突していて

 ボクたちは何の関係もない風に会社の中で
 売り上げがどーとかって、やっている

< スネカジリの学生が ! >
 と、口では言ってもみても
 何かスッキリしない

昭和の子供たち・やよい町15番地